創作するから生きていける。でも「ちゃんと社会人でありたいよ」/美術家 木村翔太

あゆ

聞き手:たっくー 写真:あゆ 編集:のんの

 

みなさんは、『芸術家』と聞いてどんなひとを想像しますか?

僕にとっては、自分の周りの社会や生活から遠く離れたところにある感じがして、どこか憧れてしまう存在です。

他者との関係の中に属していないとどこか不安を感じる日々の中で、自分を貫いているように見える芸術家を少し羨ましく思っているのかもしれません。  

 

 

この度取材させていただくのは、芸術家の木村翔太さん。

3年前から西条にあるアトリエで、彫刻や絵画の作品を作られています。

今回は木造彫刻の温かい香りに包まれたアートギャラリーで、芸術家というお仕事について伺います。  

 

 

東広島に来てから初めて作ったのがこの作品です。

 

東広島で作り始めた「縄」

 

3年前くらいかな。2019年に東広島に来て作った作品なんですよ。 まだこのときはチェーンソーを買ってなかったので、全部手でやるしかなくて。

― これを全て手で、ですか……。信じられないですね。

一本の木から手でやるしかなくて、だからすっごく時間かかって。絶対これチェーンソーいるなって思ったんです(笑)

― それまではチェーンソーを使っての制作はされていなかったんですか?

いや、大学のときは設備も全部整ってるから、チェーンソーもあるけど、いざ大学から出ちゃうとそういう設備とか全くないから。一から自分でやんなきゃいけないからすごく大変でした。

― 設備なども整ってない中で、東広島を制作拠点に選ばれた理由はあるんですか?

母の知り合いがここのアトリエのオーナーだったんです。アトリエ探しをしてたときに、母のつてでここに来たって感じですね。

― ひととのご縁で東広島で制作することになったんですね。 こちらの作品も東広島に来てからの作品ですか?  

 

 

そうですね。この作品は船をイメージしてて。 

― たしかに。色もそうですし、形からもなんとなく海に浮かぶ船を感じますね。

竜骨が一本あるって考えて、その周りに縄を巻いた、というふうに考えたんですよ。  

 

 

― 竜骨の周りに縄ですか……。

木村さんの作品では縄をモチーフにした作品が多いですが、そうなったきっかけは何かあったんですか?

そうですね。何も考えずに作るっていうのが苦手だったので、あるものを見ながら作るのが自分の性に合ってたんですよ。

縄とか綱っていうのは、神社のしめ縄だったり神聖なイメージがあるから、それを思いっきり巻いたら神聖度合いが増すんじゃないかと思ったんです。一回巻いて神聖なら何重にも巻いたらもっと神聖なんじゃないかっていう。単純に、ドラゴンボール的な感じでかけ合わせれば強いだろ、みたいな(笑)  

 

 

― 巻けば巻くほどですね(笑)

そうそう。あ、あと自分は有線コードとか電柱の配線とか、絡まったものが結構好きで。

そこで「単に紐だけじゃなくて、それをひねって縄の形にしてみたらおもしろいんじゃないか」と思って今の作風にたどりつきました。

こうすることで見応えのある作品になったかなって思います。  

 

 

作品が浮く

 

― 自分は作品を作った経験があまりないので想像できないのですが……作品を作っているときはどういう感覚なんですか。

なんか研ぎ澄まされていく感覚に近いかな。フワーとした綿菓子みたいなもんが、どんどん圧縮していってキリキリキリキリ潰されていく感覚に近いです。

それで最後はペランペランになる。

それでやっと形になったねって。そういうイメージです。 

― 綿菓子を圧縮してキリキリですか……。

彫刻の制作ってすごく時間がかかりそうですが、その長い時間の中でじわじわと圧縮されていく感覚なんですか?

そうそう、大体一ヶ月かかるんですが、最後の一週間はもう大変です。テンションが一番ハイになっていて、神経がピリピリしてる状態です。家にいても脳がずっと休まっていない感じで、それでもこのときが作ってて楽しい段階ですね。

― 本当に作品に没入してるんですね。

そうですね。だから作るときは絶対に一人の方が良い。誰も来るな!って感じです。  

 

 

― 作品制作を突き詰めていくと終わりが見えない作業のように思うのですが、どのタイミングで「完成!」って思うんですか?

なんか作品がその場所から浮いてるなって思う瞬間があるんですよ。

― 場所から浮く、ですか。 

うん。これって異物だなって。写真があってコラージュしてきたものみたいな感じなんです。なんていうか、なんかこう…….火山の写真に生花の写真をくっつけたみたいなイメージです。

この部屋に合わないってなったら「きた!これだ!」って。

― すごい感覚……。 

強烈な違和感を感じるんですよ。作ってるときって作品と肩を組んで「頑張ろうぜ!」みたいな感じでやってるけど、急に「だ、誰?」ってなる。作品が一人歩きし始めた瞬間のような、歩いてないけどなんか違うっていう。  

 

一人で黙々と木を削り続けて一つの作品を作り上げる感覚。

それは制作者だけが感じることのできる特権なのかなと思います。

 

芸術の道に進んだきっかけ

 

― そもそも木村さんが芸術の道に進まれたきっかけは何だったんですか??

元々保育園に通っていたときに粘土で何か作ったり、小学校のときに絵を描いて周りの人から「うまいね」って褒められたのがきっかけですかね。そこで自分が少し「絵を描くのが得意なのかな?」と思えた気がします。

― 幼少期に褒められた経験が大きいんですね。

そうですね。小学校のときも「絵を描けるのはお前だよな」って言われたりして、それがすごく嬉しかったですね。そして、褒められるのが嬉しいからまた作る、そういった感じです。

― そして、そうした思いのまま芸術系の大学に進んだんですか?

はい。でも実は僕、一番最初は漫画家になりたかったんですよ。

― 漫画家ですか?

はい。でも、漫画は枠を描くのがめんどくさいなってなってしまって。

― そこなんですね(笑)

そうなんですよ。ものすごく「めんどくさい!」ってなって、そこで無理だって思いましたね。

そしたら、高校のときに体育祭で大きめの壁画を描かせてもらったり、キャンパスに絵を描いたりして、そのときにこういうのも楽しいぞって思い始めたんですよ。

それで漠然と芸術系の大学を目指し始めましたね。

― 大学では彫刻科に入られていますよね。それはきっかけがあったんですか?

元々は油絵に行こうと思ってたんですよ。

ただ、高校二年生の時、予備校の三者面談で「油彩は高いよ。月に何万か行くよ」って言われて。

「木村、粘土だったら崩してすぐに再利用できるけえ、こっちにせい」って言われて、「じゃあ僕、彫刻にします!」って。

これ!これが今日のここに至る瞬間です

― 先生の何気ない一言が今に至るまで……(笑)

今でも時々思い出します。そして、あのときやられたなって思います(笑)

― そうですよね。木も値段はかかりますし。

絶対かかる!こっちの方が重いし! 絶対こっちの方がいかん!やられた!!  

 

 

― 本当に人生を変えた一言ですね(笑)

自分で決めとると言いつつも、耳から入ってきた情報を蓄積して取捨選択するっていうのが人生の決め方だったのかなと思いますね。  

 

逃げた先の二刀流

 

― 今もプロで芸術家をされているということは、大学の中でも彫刻はやはり上手い方だったんですか?

いや、苦労しましたね。彫刻を始めた理由も漠然としていたので。

― そうなんですか。

僕、大学入るまでは彫刻家なんてミケランジェロしか知らなかったんですよ。 でも、大学に入ると芸術についてすごく詳しい人がいっぱいいたし、僕よりもすごい同期が山ほどいて。最初は完全に出遅れた感じでしたね。

― じゃあ、大学では葛藤しながらの日々だったんですか?

そうですね。同期に格上が何人もいたんでやっぱり劣等感はありましたね。

「あいつすごいなあ。でも、俺はさあ……」って。

作品の講評の度、僕の作品は平均して評価が低くて……という感じだったので。

大学と自分のスタンスがちょっと合ってなかったですね。その分学ぶことは多かったです。

 

こちらの作品は、大学時代に自身の顔をテーマに作った作品だそう。

「変な顔の作品を作ってギリギリ大学の評価を稼ごうとしてた」という思わぬ背景まで教えていただきました。

 

― じゃあその時点ではプロになることはあまり考えていなかったんですか?

美術系に進むなんて全く思ってなかったですね。

大学にいる中で美術館やギャラリーに足を運んで、ひとと関わっていたら徐々に……という形で。

流れに身を任せていたら今に至った感じですね。

― 流れに身を任せていたらですか……。

はい。だから大学の先生も驚いていましたね。

自分の今の作品を見ても、「同姓同名の別人かと思った」って言われます。

大学時代はあまり彫刻をやってなかったですし、壁画とか絵を書いていたりで。

先生からも、彫刻では下から数えて何番目くらいに見られていたかなっていう経験は何回かあったので。

でもまあ大学時代は精神的にはあんまり良い状態じゃなかったです。

他人の目を常に気にしてたし、「自分はどう見られてるか」ばかりを考えていたので。 あまり自分では”良い木村翔太”ではなかったなって思う。  

 

 

― そういった周りの目だったり、劣等感から救われる瞬間はあったんですか?

ん〜、逃げたかな。

彫刻で勝てなかったから、絵を描いた。絵を描けなくなったから彫刻に行く。逃げの反復横跳びみたいな感じで過ごしてきましたね。今も二刀流の状態でやってます。彫刻はこれ作ってて、飽きたら絵を描こうってなって。それでどうにか劣等感との戦いを制した。制したというか逃げだから、向き合ってないです。逃げるだけ逃げて。

向き合っても解決しないんですよね。時間しか解決しないから。

― じゃあ今の段階で彫刻と絵を描くのとで、どっちが向いてるかって言われると……?

分からないですね。今は自分でも何屋さんなのか分からないです だからもうちょっと、二、三十年頑張ってやると、多分わかるんじゃないかなって思ってます。  

 

 

がっつり二郎系の作品

 

― 大学時代は周りの目を気にしていたということでしたが、今作品を作るときは観るひとにどう思われたいと意識することはありますか?

ありますね。 僕の作品を観るときはがっつり二郎系が良いんですよ。

― 二郎系ですか……?(笑)

そう。小洒落た作品も作ったことはあるけど、僕には合わなかったんで。二郎系食べたときの、「これこれ~!俺にはこれ!」って思う感じの、ガツっとお腹にくるような、胃もたれするような作品を作りたいかな。 

お客さんに「すごいのあった!うわ!」って思ってもらいたいですね。  

 

 

― なるほど。見るひとにインパクトを与えるような作品ですね。

そうですね。観るひとが「なんだこれ!」って感じるような作品。 そういった作品を自分は作りたいですね。

― 作品の外見に関しては、観るひとに与えるインパクトも考えるということですが、作品の内部に込める思いについてもお聞きしたいです。自分の思いや考えを詰め込んで作り始めるんですか?

実は僕そこスカスカなんですよね。でも、湧き上がるものはほどほどにある。

こういうところに展示するよって聞いたときに、「じゃあこの展示にはこの作品が良いかな」とか、「白い感じの風景やったら色は派手が良いよな」って思います。作品の起点は自分の内側というよりも、自分の外側にありますね。   

 

 

― 作品を作るきっかけは外から来るんですね。意外でした。

本当にいわゆる芸術家とは考えのベクトルがちょっと違うのかなってひしひし思います。

ほんまもんの芸術の人からしたら「俗寄りだな」って思われるかもしれないけど、「別にええねん」って食ってかかっちゃう。

― そこで「別にええねん」って思えるのが強いですよね。

世間一般で想像される「破天荒で、自分の表現のみを追求して……」といったいわゆる”芸術家”を羨ましいと思うときはないですか?

尊敬はしています。ただただ尊敬あるのみという感じです。

そのひとたちの覚悟はとても賞賛に値しますしね。

だからそういうひともおってよし、僕はこうでいる。「頑張ろう。一緒に生き残ろうや。」って感じです。  

 

社会人になりたいよ

 

でも、ひとに作品を覚えてもらうには、言葉遣いや細かい配慮だったり礼儀もやっぱり必要かなと思います。今の時代はひととの付き合いをきちんとできるひとが真っ当な作家なんじゃないかな。

― そこは一般的な社会人と似ているんですね。

まあこれも矛盾ですね。社会からはずれたことを自分で好き好んでやってるのに、社会人になりたい。社会人とはこうあるべきだっていうのをわざわざ自分に課しています。

やっぱり葛藤はありましたからね。周りのみんなは就職するし。自分はエントリーシート一回も書いてないし、就活のバスにも乗らんと終わったなって。 

人生でネクタイ締めるときって冠婚葬祭だけなんで、絞め方めっちゃ下手なんですよ。下手くそなまま友人の結婚式行くともうぐちゃぐちゃやから(笑)  

 

 

― そういった「社会人になりたい」という気持ちがある中で自分の感性や表現の発揮できる場所を探すというのは、その……

葛藤ですね。

― そうですよね。でもそういった葛藤の中でも木村さんは作品を作り続けられている。芸術家をする上で支えとなっているものは何なんですか?

やっぱ好きやねんって感じかな。  

 

 

やっぱ好きなんよねって。好きだからやってるのよっていう。もうこればっかりは。 自分から、絵を描く、彫刻を作る、映画を見る、これ取ったら、二年以内に死ぬぞって思います。これがある以上は、多分百年くらい生きられるんじゃないかな。  

 

木村さんの口から「他者の目を気にしていた」ことや「社会人になりたい」という願望を聞いて「自分と同じだ!」と正直ホッとしました。それは、幻想の中に留めていた憧れが、木村さんの言葉を通じて少しだけ身近な存在として感じられたからなのだと思います。

社会の中で生きていると、「自分はこれだ!」と固めて生きた方が良いのかなと思うときがあります。でも、木村さんのお話を聞いて、曖昧な自分を無理に固めようとせず、そんな自分ともいつか向き合える日が来るんじゃないかと待ち続けることも大切なのではないかと思いました。  

 

GALLERY HIGHLIGHT

住所 東広島市西条土与丸5-1-9 SUNHAMLET

ライターだより 

「カメラマンの方、椅子を用意しましょうか?」と周りを気遣われている木村さんが印象に残っています。

作品からだけでは想像することができない芸術家の意外な一面に触れて、「また改めて作品を見てみたい!」と思いました。

 

カメラマンだより

劣等感と聞くとなんだか持っていてはいけないような、そんなイメージですが、これだけいろんな人と関わっていきていたら誰かと比べない方が難しいと感じます。

誰かと比べることで見つかる自分の特徴もあって、その過程で生まれる劣等感ですが、木村さんと劣等感の付き合い方は「逃げる」という方法で。今まで考えたことのない方法ででこの取材に行けてよかったと思いました。

劣等感も反復横跳びのように行ったり来たりしてる、って本当にそうだなと思います。

 

編集だより

木村さんのお話を聞いて、「美術家」というのは世界に数ある職業のうちの一つなんだ、と改めて気づきました。私たちがする就職活動は企業に勤めることを前提としていますし、自分の将来の選択肢が「会社員」か「公務員」という2択である人はたくさんいると思います。

この取材を通して、「会社員」「公務員」の他にも「表現者」という、3つ目の選択肢もあるんだよ、ということを教えていただけたように思いました。私自身もどうやって生きて行こうか模索中なので、悩んだらこの記事を思い出して読み返したいと思います。

 

 

 

【かいたひと】たっくー / ライター

三重の田舎出身。早起きが苦手。

 

あゆ

 

【とったひと】あゆ/カメラマン、編集者

宮崎県宮崎市出身。好きな食べ物は真鯛のおすしです。