聞き手:あみぱん 写真:ももち 編集:あゆ
長かった冬も終わりが見え、だんだんと春が近づいてきました。
春といえば、進学や就職。新しい世界へと飛び込む人が多いのではないでしょうか。
新しい世界で生きる自分はどうなっているのでしょう?
今の自分って将来にどうやってつながっていくのでしょうか。
先を見つめるあなた、ちょっとのぞいていきませんか。
今回は、クラウドファンディングでmahoLabo.を支援してくださった奥原啓輔さんに、お話を伺ってきました。
奥原さんは広島大学総合科学部の卒業生で、大学時代はバイオ(生物)の研究をなさっていたそうです。現在は、大学の職員として働きつつ、大学発ベンチャー企業のCEOもなさっています。
― どうしてmahoLabo.をクラウドファンディングで支援してくださったんですか?
実はmahoLabo.を結成した宮迫くんがOlu Olu caféで「何かやりたい」って話をしているのを見ていたんだよね。
それからメンバーが増えていって、「団体のビジョンがうまくまとまらないから、まずそれを整理しよう」って話していたのも懐かしいですね。
そのあとも学生さんの地域での活動を東広島市が応援する「学生×地域塾」っていうイベントでお会いして。そうやって色々話を聞きながら、応援する気持ちでずっと関わってきたなという感じですね。だから、クラウドファンディングを始めたときも、「ああ、始めたんだな」って思って、支援させてもらいました。
私も遠い昔の広大生なんだけど、当時は研究者になろうと思っていたから、勉強しかしていなくて(笑) 勉強以外の時間の使い方をしていなかったんだよね。
だから、「今やりたいこと」があって活動している学生さんはめちゃめちゃ眩しかったんです。自分が選択していなかった学生時代の過ごし方をしていることが、ああ、すごくいいなあって思いました。
多くの岐路に立ってきた人生
― 奥原さんは、大学院卒業後、東広島を一度離れ、また戻ってこられたとお聞きしました。なぜ、また戻ってくることになったんですか?
大学時代はバイオの研究をしていて大学院までいったんですが、真剣に研究者になる道を考えたときにそれで食べていくことは難しいことに気づいて、就職を選んだんです。
日本の科学技術を支援するJSTという組織に入って、最初の3年は産学連携のプロジェクトを担当し、そのあとは霞が関(内閣官房)に派遣されたんです。国の仕事はやりがいも多かったけれど、本当に忙しかった。
あまりにも忙しくて、睡眠時間がなかった。それで朝の時間をいかに削るかってことで、今の髪型に至るんです(笑) 起きて3分で家を出られるでしょ。
髪型にはそんな秘密があったんですか! 思わず、くすり。
東京でずっと働いていたんですけど、家族は西条に残ったまんまだったんですよね。家族を東京に呼びたいなと思っていたころ、東日本大震災があって。そこで、家族はやっぱり一緒にいなきゃいけないなって思ったんです。仕事をどうするか考えて、結構迷ったんですけど、西条に戻ることにしました。
― また帰ってこられたんですね。
西条に戻ってきて、東広島市役所に就職しました。福祉部子ども家庭課という、今までとは全く違う仕事でした。
大学からバイオの研究をして、科学技術を軸にして働いてきたので、配属先は産業部門かなと、なんとなく思っていたんだけど、全く違って。
4月1日に、えっ!て、目が点になりました(笑)
新しい仕事は福祉部こども家庭課という子育て支援に関わる仕事だったんですけど、今までしていたことと全く違うじゃないですか。戸惑ったんですけど、当時、子供が3人いたので当事者目線で支援することを考えたりもしましたね。
その後、広島大学に派遣されて、ゲノム編集の研究をしている先生と一緒に、国家プロジェクトに携わる仕事をしました。市役所の任期があるけど、もっと残って先生と仕事をしたいという気持ちが強かったんです。新しいゲノム編集で社会を変えていこうとしているということに関われているのって、やりがい以外のなにものでもなかったです。
そんなことから、去年の3月に公務員をやめて。だから今は大学で働きつつ、新たに起業した大学発ベンチャーのCEOもやらせてもらっています。
無駄なことなんてひとつもない
― 様々なお仕事の経験をされているんですね。驚きです。
私だったら、自分が今まで勉強してきたものや経験してきたものを手放すことは、すごく怖い。全部、無駄になってしまう気がします。
思い描いていた未来にギャップがあった時や、今までの経験から大きく離れて仕事をする時、戸惑いや不安はなかったんですか?
もちろんありました。でも、その場その場でのやりがいや、得られるものが違って面白かった。無駄なことってひとつもなかった。
自分は、岐路にいっぱい立ってきてて。東京での仕事をやめて西条に戻って来るというのも大きい決断でした。それぞれで思うことはあったけど、でもタイムスパンが重要だと思います。すごい短期的に考えると、今までやってきた全然関係のないことってもったいないとか、意味ないじゃんってなることもある気がしますよね。
でも、長期的に見てみるとその経験はどこかで、必ず生きてくる。
― なるほど。実際に生きてきたことって何かありますか?
私の場合、国の政策を内閣官房で考えていたことが、市役所で子育て支援の計画を考える時、すごく役に立ちました。
あとは、市役所で色々なひとの子育てに関する悩みを聞いてたことです。コミュニケーション能力っていうのはものすごく鍛えられましたね。相手の話をどうやって聞くとか、どう話をほぐしていくかとか。
話すときも聞くときも、まっすぐ目を見てくださる奥原さん
何が役に立つか分からないから、目の前のことに全力で集中するってことが大事ですよね。いま経験しているキャリアが将来どう役に立つかなんて、いま分かるわけないんです。
ただ、キャリアが意味あったものかどうかは、後から自分が「意味があった」とその後の行動で、証明していくのが大事かもしれないね。
様々な経験をなさってきたからこその、奥原さんの言葉。深く刺さりました。
学生時代はスター状態
― 奥原さんが学生に期待することはありますか?
やりたいことを、やりたいようにやってくださいってことかな。
学生さんという期間って最強なんですよ。マリオでいう、スター状態みたいな。
「こういうことをやりたい!」っていうなら、周りの大人は応援したくなると思います。例えば、地域のひとの中に飛び込んでいって、話を聞くってなっても、きっと地域のひとは喜んで迎えてくれると思います。
学生ならではの特権です。
そういう期間だからこそ、大きいこと、小さいこともチャレンジすることが色々あっていいと思います。
― 最後に、奥原さんが後悔することってありますか?「無駄なことなんてひとつもない。」と、自分の経験を前向きに捉えることって難しいと思うので、気になりました。
それはありますよ。大学時代に勉強しかなかったこととかです。
でも後悔することがあっても、次はこうしようと思えるから、悪いことじゃないんですよね。それが、自分の軸になっていく感じかな。 だから、後悔したけど、今は後悔してなかったりね(笑)
これがやりたいってことが見つかるということはすごく幸せだと思うんですよ。
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私は、頭のどこかでどんなことも無駄なことはないと信じようとしながら、でも不安を抱えていました。でも大切なことは、信じるだけではなく、どう証明していくか、置かれている場所で、どう腐らずにやっていくか、でした。奥原さんありがとうございました。
ライターだより
「学生さんっていう期間は最強」という言葉は、ぐんと私を奮い立たせるものでした。折り返しの学生期間にたった今、やりたいこと、やりたくないけど、きっと自分を成長させるもの、なんでも挑戦したいと思います。そうやって自分を積み重ねていきたい。
カメラマンだより
「経験がいつ・どこで役に立つかは分からない」、「無駄なことなんかない」という言葉がとても染みました。私は2年ほど前から単なる趣味としてカメラを始めましたが、このような取材の撮影をすることになるとは、当時は全然思ってませんでした。役に立たないようなことでもいつかは役に立つ。不思議ですよね。
【かいたひと】あみぱん/ライター
福岡出身。サイクリングと映画が大好き。
にほんのはしっこに自転車で行くのが目標。
今年やりたいこと100を考えるのにはまっている。
【とったひと】ももち
兵庫県淡路島出身。趣味は昭和歌謡鑑賞。特に1970年代の歌謡曲が好き。
倫理学を専攻にしたいと考えており、文化としての歌謡曲を倫理学的に考察することに興味がある。