いくつになっても、好奇心を満たす瞬間を積み重ねていく/教蓮孝匡

  あゆ

聞き手:しおね 写真:あゆ 編集:あんちゃん

 

三寒四温を繰り返しながら、桜の開花を待つ3月の終わり頃。

始まりの月を目前に、

自分がこれから進んでいく道が見えていることにほっとする。

その一方で、

もう夢を見ることはないんだと、

足元が細くなっていくような感覚もある。

今日は三寒四温の寒に向いた、少し肌寒い日。

 

 

西条駅から車で北へ30分、目印は福富物産しゃくなげ館。

しゃくなげ館の道路をはさんで向かい側に、教蓮さんが運営するコミュニティ農園mikkeがある。

 

「久しぶり、よく来たね。」

「これだけついでに終わらせるから、ちょっと待ってね。」

 

東広島市福富町上竹仁を拠点に、子ども向けの体験農園づくりに取り組む教蓮孝匡さん。

2019年の夏に本業の地方新聞記者を退職し、約2年間、福富町の地域おこし協力隊として活動していた。

 

 

協力隊を退任し、地方紙記者に復職した今も福富町の古民家に身を置き、記者稼業のかたわらで農園活動を続けている。

 

 

アクションを起こすきっかけとなった3つの柱

 

 

― 地域おこし協力隊になられた理由をお伺いしてもいいですか。

協力隊になった理由ね、話すたびにちょっとずつ違うんだけど。

― え……!?

聞かれる度に言葉が変わっちゃうけど、要素は一緒でね。

まず一つに、自分で食べるものを自分で作るっていうことをやりたかった。

 

 

生きる手ごたえというか、生活感を感じる生活をしたいなあってぼんやりぼんやりこの10年ぐらいずっと思ってたんだよね。

記者の仕事をしつつ、市民農園に通ったり収穫イベントに参加したりでその気持ちをごまかしてたんだけど、もっと踏み込んでやりたいなあっていうのが一つの柱としてあって。

 

「手ざわり感のある生」をテーマに

畑に集うひとたちと一緒に野菜や果物を育て、収穫を分かち合う。

 

 

もう一つ、記者を辞める直前は、教育や児童福祉を担当してたんだ。

不登校やいじめ、病気で思うように外で遊べなかったり学校に行けなかったりする子どもたちのことを取材してて。記事で伝えることが僕の仕事だったんだけど、取材したらそれっきりっていうのではなくて、何かもう少し関わり続ける方法があればいいなあと思ってた

そういうのは、思っていてもずるずるとそのまま定年を迎えるのが普通なんですけどね。

 

 

あとは、もともと中山間地域の自然やひとの営みを取材したいと思ってたんだけど、この先も部署が変わらない気配だったのね。こういう取材がしたいんです、こういう支局に行きたいんですって言ってもなかなか叶わなくて。

その3つが沸点に達して、もうそろそろ自分で何かアクションを起こさんとなと思った。そんなとき、地域おこし協力隊のチラシが目に入って。ずっと前からあったチラシだけど、やりたいことを意識し始めてから初めて情報として入ってきた。それがきっかけかな。

 

 

― 地域おこし協力隊になるっていうこと自体もアクションだと思うんですけど、「新聞記者を一旦やめる」っていう行為もかなりのアクションですよね。

何かを始めるより、何かをやめるほうがエネルギーを使うかもしれんね。精神的なものも含めて。

― そうなんです。大学生はアルバイトとかサークルとか、何かを新しく始める機会はとても多いんですけど、一回始めたことはやめたくてもずるずる4年間引きずることがあって。

「やめる」って、何かを放り出すとかさ、責任を放棄するって捉えられる。実際そういう要素も多々あると思うんだけど、逆に俺、やめられない世の中って息苦しいなと思う

 

 

― 教蓮さんが新聞記者を辞められたとき、周りの反応はどうだったんですか?

周りのひとはびっくりしてたけど、共感してくれるひとも案外おって。みんな少なからずあるよね、ここではないどこかへ、みたいな。それをちょっとずつ抱えながらやり過ごしていて。

僕は、そういうのを一個一個叶えたいと思っちゃうんだよね。

子供っぽいというか。

子供ってなんでも欲しがったりするじゃん。

 

 

なんだろう、何かに近づこうとしたら何かをやめなきゃいけないことってあるよね。

 

 

「知らない世界を知りたい」という欲求

 

 

― 今更ですが、どうして新聞記者になろうと思ったんですか。

それは結構簡単で、いろんなところにあちこち行きたかった。いろんなところでいろんな体験ができるっていうイメージだったの、記者って。

何かを作り上げるとか、世の中を変えるとか、社会正義とか、平和を守るとか、そんなのは全然なくて。いろんなところに行きたかった。

世界の、いろんなことを知れるっていうことかな。

ひとつのところで高めていく職人みたいな職業にはあんまり興味は惹かれなかった。それより地球の楽しさを、いろんなことを知りたかった。

― 地球の楽しさ、とは?

だって、おもろいことっていっぱいあるじゃん。太陽が昇ることとか、青空の色すら面白いじゃん。木の色が違うとか、肥料によってなんで芽のつき方が違うんだろうなあとか。なんで赤ちゃんってあんなに泣いても声がかれないんだろうとか、思うじゃんか。

― 好奇心ですね、まさに。

だから、ああ人間の欲望ってつきないなって思うよね。

 

 

これこれ、中国新聞の記事で、アルゼンチンの人が夫婦で22年間旅したんだって。で、世界中ぐるぐる周ってるうちに、子供が6人増えたんだって。旅から帰ってきたら、8人家族になってたって。わあおもしろって思って。しかも、そのコメントが良くてね、

「世界は素晴らしい。知りに行かないと」

これまさに僕が思ってることだって思って。

世界は素晴らしいから知りたいって思うじゃん、知りたいし、体験したいし。だから、かな。欲求としては。

せっかくこんな宇宙の中の小さな星のこんなせまい国に生まれて何十年しか生きないのにさ、知らなきゃ損だし、やりたいなって思ったことを諦めるのもなんかもったいないなって。

特に組織のせいで諦めるとか、他人との関係で諦めるとかはさ。

だからよく奥さんに怒られるんだけど、大人げないって。

 

 

 

好奇心に従って生きる理由

 

 

― そんな教蓮さんは2児の父とのことですが、お子さんに対してどう進んでいってほしいとかあるんですか?

一つでいいから好きなこと、これをやってれば楽しいんだっていうのを見つけて欲しいなと思う。それがあれば後のことはどうにでもなる。

そこの軸がなんか中途半端だったり妥協してたり、我慢してたり、人のものさしに合わせて生きたりしていると、ストレスフルになっちゃうからね。

嫌な奴はどこにでもいるし、アンラッキーもいろいろ起きるけど、自分の中で一つでもいいから柱があればそれも些細なことになるよ。自分がある程度満たされてたら、なんか笑い話になるよね

 

― 今日はありがとうございました。私はもう好奇心を満たせました。

そういう時間を積み重ねていくことが人生なのかな。何かを成し遂げるとかっていうよりもそんな瞬間がたくさんあればいいなって思う。

 

 

 

コミュニティ農園mikke

■住所:〒739-2301 広島県東広島市福富町上竹仁1553

■TEL:090-6412-9543

■ウェブサイト:https://mikke-magazine.wixsite.com/mikke

■SNS:

○Facebook:https://www.facebook.com/people/%E6%95%99%E8%93%AE%E5%AD%9D%E5%8C%A1/100040997490192/

○YouTube:https://www.youtube.com/channel/UCy3lWBKrPYpBMkSPI9BFdaQ

 

 

ライターだより

始まりの4月。「なりたい自分」という問いに一度答えを出し、確信して選んだ道だからこそ、もう夢を見ることはないと思っていましたが、「叶えたいと思う心はいくつになっても枯れないひとはいる。」と思いました。一旦選んだ自分の方向に身体を向けつつ、生活の中で感じる「~したいな」「~してみたいな 」という欲求に素直でいたいです。

 

カメラマンだより

教蓮さんが話すときに、自分の中の考えていることを私たちによりクリアな状態で伝わるように言葉を選んで、言葉になる前に考えるその時間が印象的でした。記者をされている教蓮さんだからこその話し方なのかな、と思ったり。知らないものを知りたいと思う気持ちとその気持ちを満たすために自分の足を実際に動かす教蓮さんはやっぱりかっこいいです。

 

編集だより

以前「決断というのはひとつを選び取るために何かを”断つ”ことなんだよ」と誰かに言われたことがあります。しかし教蓮さんの生き方からは、なにかを断った先にも新しい発見と好奇心の種が植わっていて、私が望めばそれをいつだって育てられることを教えて貰いました。しかしながら、その生き方を叶えるにはいろんな強さがいるなあとも思います。好奇心を満たすための視野の広さも行動力も、ちゃんと育てていきたいな。

 

 

 

【かいた人】しおね/ライター、編集者

山口のトロンボーン吹き。オムライスはデミグラスよりケチャップ派。置かれたところで咲いていきたい。Instagram→sea_one72  Twitter→@shione2727

 

 

あゆ

【とったひと】あゆ/カメラマン、編集者

宮崎県宮崎市出身。好きな食べ物は真鯛のおすしです。