聞き手:たっくー 写真:もちこ 編集:ひかりん
西条から車で30分。木々に囲まれた山あいの道を抜けると見えてくる「きこりや」の文字。
今回お話を伺うのは、下永速さん。
下永さんは、福富町で林業に従事するかたわら、木工品を販売する「きこりや」を営んでいます。
林業という普段あまり接することがない職業。
自分たちにとって遠い存在ゆえに、単に憧れやイメージだけで語ってしまいがちです。
今回は、木の温かい香りに包まれながら、下永さんの林業への考えや日々大切にしていることを伺います。
まずは林業を始めたきっかけについて。
— お父様の代から林業をされていたということでしたが、家業を継ぐことへの不満や葛藤などはありましたか?
いえいえ、そういうのはなかったですね。
当時は林業は花形で、お父さんの姿を見ていて「林業はすごい良いもんじゃ」と思ってね。良い産業じゃったんよ。
— 林業は小さい頃からずっと身近にあって、良いイメージがあった、と?
そうそう。僕的にはね。
まぁ、街では生活できんし。山なら”お山の大将”でできるじゃないですか。
— お山の大将ですか(笑)
それに僕らの時代は高度経済成長で景気が良かったですしね。
取材の合間には笑い話で場を和ませてくれる下永さん。
高度経済成長の後、日本の林業は外国産の木材の輸入とともに徐々に衰退し始めます。
下永さんが木工品店である「きこりや」を開いたのは、林業が花形ではなくなりつつあるそんな時でした。
— 「きこりや」を開くまでにはどういった経緯があったんですか?
林業が衰退する中でも、残ったら良いことが起こるんじゃないかと思って、まずは家を作る工務店を始めたんですよ。それから10年くらいすると、今度は木を加工する製材機を買ってね。
そのあとに、知人が木の新たな価値を教えてくれたんですよ。
「木は木材として使う四角い木だけじゃないよ」って。
残った皮とかもお金になるっていうのを教えてくれて、きこりやを始めたんです。
— じゃあ、きこりやを始めたのは、その知人の方の言葉がきっかけなんですね。
そうそう。まぁ人との出会いですよ。
— 下永さんと以前お話しした時に、 「山には必要なものが全て詰まっている」という言葉が印象に残りました。この言葉はどんな時に感じるんですか?
それは、お客さんと話しよった時。
お客さんの中に僕らが想像せんものを求めてきてくれる人がおるんですよ。
花屋さんが枝のある木の絵を描いてきてくれて、「こういうのないか?」って。
僕らやったら捨てるような木よ。山に行ったらいくらでもあるけんね。
そういうことも全てお客さんが教えてくれるんよ。
— なるほど……山の恵みを山の中ではなく人との交流の中で感じるという答えはとても意外でした。それぞれに合った恵みを自然は与えてくれているんですね。
そうね。だから、いろんな人がおってええんよ。
人それぞれみんな趣味が違うんじゃけえ。
大事にしてくれる人に渡せば、やっぱり大事にしてくれるじゃん。
そうすると、そのものは生きてくる。それが大事。
きこりやにいろんなお客さんが来るように、ここにある木もさまざま。
真っ直ぐな木、曲がっている木、節もあれば、木の皮が残っている木まで。
ここでは個性豊かな木々が、自分を愛し大事にしてくれるひとをじっと待っています。
— 林業というと、植林してから木材になるまでに長い年月がかかりますよね。数十年後にやっと木材となる木を植える時にはどういった思いなんですか?
僕、実は植林なんかは一切せんのですよ。
— そうなんですね!林業者はみんながみんな植林をするものだと思ってました。植林をされないのには何か理由があるんですか?
木を切って、下草を刈って、自然で育てる。それが本来は当たり前なんですよ。
植林したとこが全部災害で流れてっとる。山の地力が落ちとるけえね。
— 地力ですか…… 。
そう。植林したら、お日さんが入らんじゃん。
お日さんが入らんから、虫も育たん、草木も育たん。じゃけえ、地力が落ちるんですよ。
— 一気に植えて……という方法だといけない、ということですか?
そうそう。先のことはわからんじゃん。
外国は全部自然に任せよるんですよ。自然に10年くらい生やしてね。
そしたら、その土地に適合した木が生える。
それを剪定して、残してどんどん大きくしていく。そうしたらお日さんも入るし、そこに動物もくるし。
— なるほど。ある程度は自然の力に任せることが大事なんですね。
とにかく、我々はお手伝いするだけ。
じゃけえ、「地球は僕らの仮住まい」なんですよ。
無理しちゃいけんということです。
「地球は僕らの仮住まい」
きこりやのパンフレットにも書かれていて、下永さんが大事にしている言葉です。初めてこの言葉に触れた時、自然に囲まれてお仕事をしている下永さんならではの思いが込められているなと感じました。しかし、この言葉が浮かんだきっかけを尋ねた時、返ってきたのは意外な答えでした。
その言葉は、死んでいく人を見たときに感じたんよ。
お金持ちの人もそうでない人も、人生の中でなんぼ立派じゃいうても、そこには持っていかんじゃん。自分のもんはないんじゃけえ。焼かれて終わりじゃろ。
— あの世には何も持っていけない、ということですか?
そう。全部置いていくんじゃけえ、みんな借りとるんよ。
その服も、お金も借りもんじゃけえ。そう思えば苦にならんじゃん。
例えば、新車買ったいうても、それは持っとるというだけのことじゃけえ。
乗せてもろうとる。それだけのこと。
だから、執着しちゃいけんのよ。
— 何にも執着せずに生きるとなると、日々の生活で何を大切に、何を目標に生きればいいのかわからなくなりそうです。
それは、今借りているものを大事に使うということじゃない?
車でもそう、家でもそう。
全部が全部自分のもんじゃないんじゃけえ。
好きな人とか、大事にしてくれる人に渡しゃええんよ。
日々自然と対峙している下永さんが、きこりやを始めた時も、山の恵みを感じる時も”ひととのつながり”がきっかけとなっていることが印象に残りました。
ものに執着せず、自分を支えるひととのつながりを大切にする。
簡単そうで、とても難しいことのように感じます。
日々の生活の中で、知らず知らずのうちに何かに執着して、自分が大切にできないものにまで手を伸ばしていることがよくあります。
そんな時にふと立ち止まって、自分の周りにある大切なものに目を向ける。
それらの存在をたしかなものとして感じることで、気持ちが少し軽くなるような気がします。
ライターだより
初めての取材でしたが、下永さんが時折見せる笑顔で場が和み、緊張がほぐれたのを覚えています。冗談も交えた下永さんの語りから、明るさと温かさを感じました。
カメラマンだより
塩豆大福が食べたくなるような、やわらかくてあたたかい取材でした。
帰ってからカメラロールを開くと、いつの間にか25,000枚へと到達しそうでびっくり。本当に好きだと感じるものが埋もれないために、ゆっくり、じっくり選びたいです。
【かいたひと】たっくー / ライター
三重の田舎出身。早起きが苦手。
【とったひと】もちこ / カメラマン
桜島と共に育った人。もち米は炊き立てに塩少々派。